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この話は、飛騨白川村と越中平村の境界にある山が人形山(にんぎょうざん)と呼ばれるようになった謂れについての悲しい物語です。 むかしむかし庄川の支流の谷川のほとりに母親と二人の娘が仲良く暮らしておりました。母親は少しながら白髪が見られる年頃になっておりましたが、娘はまだ十代の半ばになるかならないかの年です。ほとんど同じ背丈ですから、年子かあるいは双子であったかもしれません。いつも二人は仲良く手分けしながら母親の手伝いに忙しく日を過ごしておりました。父親の姿は見えませんが、二人の娘がまだ幼い頃、山で仕事をしていた父親は、切り倒した樹木の下敷きになり、亡くなってしまったのです。 幼い娘を女手ひとつで育てなければならなかった母親は、必死になって働きました。雪深い山の中ですから母親に出来る仕事は限られています。春になれば、蕨やぜんまいなどの山菜を取り、里に持って行き、村人に買ってもらうのでした。この家庭の事情を知っている村人は、親子のためになればと思い、喜んで買ってくれるのでした。 夏には今は亡き夫に教えられたやり方で岩魚を獲り、秋になればなめこやくりたけなど色々なきのこを採って里に持って行き、村人に買ってもらいました。 こうして貧しいながらも、村人の情けもあって、親子三人は何とか暮らしを立てていました。 ところが、日々のつらい仕事の疲れが溜まったためか、母親は病気がちになりました。まだまだ幼い二人の娘にとっては、母親はたった一人の頼りになる人であります。その母親が倒れるようなことになれば、親子三人の生活が危うくなりかねません。 信心深い母親の習慣から親子三人は、山の上の白山権現堂に祀られている権現様に向かって、朝夕手を合わせて拝んでまいりました。 母親が病に伏せるようになってから、娘二人は今まで以上に一心不乱に 「権現様、お願いです。母様の病を治してください。病が治ったらお礼にどんなことでもいたします。」 と、お願いするのでした。 このお祈りが権現様に届いたのでしょうか、ある日二人の夢の中に権現様が現れました。 「お前たちは親孝行で感心な娘だ。母親の病にたいそう悩んでいるようだが、私の話をよく聞きなさい。村の谷川を遡ると、一箇所地面の暖かいところがある。そこを掘ると、温かいお湯が湧き出るだろう。母親を毎日そのお湯に入れてあげれば、病はきっと治るはずだ。」 娘二人は同時に権現様のお告げを聞いたのでした。それもまったく同じお話でした。幼い頃から権現様を信心している二人のことですから、すぐにお湯の湧き出るところを探しに谷川を遡りました。 三日目に二人は疲れ果てて谷川のほとりに腰を下ろして休みました。なんとなくお尻が暖かいのに気づきました。びっくりして二人は立ち上がり地面に手を当てました。二人の手に地面から暖かな熱が伝わってきました。二人は顔を見合わせて、ここに違いないと、うなづきあいました。そして、近くに落ちていた枯れ木で地面を掘り始めるのでした。しばらくすると、掘り出した穴にお湯が溜まり始めました。 この日はすでに日が暮れてきたので、二人は持参の竹筒にお湯を入れて持ち帰りました。 「母様、権現様のお告げのとおり、谷川にお湯が出るところがありました。今日は竹筒で少ししか持ち帰れませんでしたが、明日からはもつとたくさん持ち帰って母様に入っていただけるようにいたします。」 「私が歩いて行ければいいが、この状態ではそれはかないますまい。昔からの話に温泉のお湯は飲むと病を治す効能があるといいます。竹筒にいっぱいあれば、飲むのには十分です。歩けるようになるまでは、申し訳ないが、二人で竹筒にお湯を汲んできておくれ。」 それから二人は一日おきに山に入りお湯を汲んできました。このお湯を飲み始めてから一ヶ月もすると、母親は病の床から起きられるようになりました。 なんとか歩けるようになると、母親は村人にお願いしました。 「谷川の上流に病を治すお湯が出るのです。人が入れる大きさの穴を村の衆の力で掘ってもらいたいのです。お願いいたします。」 この話を聞いて村人は大喜びで人が入れる大きさの穴を谷川のほとりに掘り、そして小さな小屋も建てました。母親は、村人と一緒に谷川の湯に通ううちにもとの元気を取り戻しました。 母親がすっかり元気になると、二人は、これは権現様のおかげである。権現様にお礼に行かなければならない思い、もみじの葉が赤く色づき始めた頃、権現様の祀られている山に登ってゆきました。無事お堂のあるところまで登り、手を合わせて二人は心からお礼を申し上げました。 心行くまで、権現様におまいりした二人は山を下り始めましたが、先ほどまで真っ青であった空はいつのまにかどんよりと鉛色になり、初雪がちらちら降ってきました。二人は必死に歩きましたが、雪は真冬のように激しくなってきました。おなかがすいていたこともあって二人はとうとう雪の上に抱き合うようにしてしゃがみこんでしまいました。雪は二人の上に降り積もり、小さな山を作りました。この日から山は吹雪の荒れ狂う季節になり、村人たちは気になりながらも、娘の救助に山に登れませんでした。 とうとう二人の孝行娘は山から帰ってきませんでした。 母親はもちろん、村人も優しい二人の娘が忘れられないでいましたが、雪解けも進んで田植えの季節が近づいてきた頃、山肌に仲良く手をつないだ二人の娘が現れました。村人は、権現様が二人の親孝行を嘉して、雪の中から助け出し、皆に見えるところまでつれてきてくださったに違いないと思うのでした。そして、それからは娘が現れると、田植えの準備に入るようになりました。 それ以来、この山は「人形山」と呼ばれております。 〔筆者注〕 この話は「人形山」の山名由来の伝説です。なぜかこうした伝説には娘が犠牲になる悲しい話が多いようです。むすめを悲劇の主人公にしなければ、話が成立しないのかもしれません。ちなみに娘を息子に置き換えると、それだけでは話にはならないでしょう。 この話は、現代の我々には、例年より早く降った初雪に娘が遭遇したと理解するのが分かりやすいのですが、昔の人は女人禁制の掟を破って山に登った娘に対する仕置きであると考えたのかもしれません。たとえお礼のためとは言え、女人禁制は犯してはならなかったのです。 ところで人形山は岐阜県の白川郷の北側約10キロ、富山県五箇村の南側約8キロの県境にある標高1726メートルの山です。この伝説の舞台は越中平村となっていますから、人形山の北側に当たります。そこでこの伝説の温泉を地図上で探してみたのですが、人形山の北側にそれらしい温泉が見つかりません。温泉がなければこの物語は成り立たないのですが、地図にも載っていないような小さな温泉があるのでしょうか。(081106) (No.348/081207/字数2765) |
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